西荻窪にある、日本茶とコーヒーのスタンド「Satén japanese tea」の店主である藤岡響さん。「水と共に楽しみ抽出を哲学する」という理念のもと仲間と2人で株式会社抽出舎を立ち上げたというほど、「淹れる」ことに強いこだわりを持つ。バリスタとしてコーヒーの第一線を引っ張ってきたひとりである。
無駄のないなめらかな動き、凛とした佇まい。多くは語らないが、所作や発する言葉のひとつひとつに、藤岡さんの胸のうちにたぎる情熱やこだわりが見え隠れする。朝日の差し込む店主の人柄が滲み出る凛とした店内で、話を聞いた。
一杯の価値観とその重みが生んだ、自身のスタイルへの問い
流れるように珈琲を抽出していく所作の美しさ。「日に何百杯も淹れるということを、15年間続けてきましたから」。迷いなく珈琲を淹れているように見える藤岡さんは、しかし紆余曲折を経て今の境地に辿り着いたという。「常に悩んで回り道ばかりして、ふと横道に入ってみたら大通りに出た、そんな人生でしたね」。藤岡さんにとって人生そのものだという珈琲を巡る葛藤の旅路のはじまりは、20歳の頃の映画館でのアルバイト時代にまで遡る。「元々内向的な性格だったので映写技師で応募したのですが、残念ながらカフェの枠しか空いてなくて」。自然の流れで入ったそのラウンジのバーカウンターには、当時珍しかった最先端のエスプレッソマシンがあり、引き寄せられるようにバリスタとしてのキャリアを歩み始めた。
「当時はバリスタって何?と言う時代で、だからこそジャンルを開拓していく面白みを感じて独学で必死に学びました」。まだスペシャリティーコーヒーを扱うカフェが街に少ない中で、バリスタの本を買い漁り、豆を仕入れ、一人で悩みながら研究を続けた。「でも逆に、誰かにあれこれ言われずに問いを立てながら深掘ることで、自分のスタイルに向き合うことができたと思います」。いつしかこの仕事への誇りと、自分のお店を持ちたいという夢を抱き、その目標に向けて以降は老舗の喫茶店や立ち上げ期のカフェを選んで経験を積んでいく。そして、「パンとエスプレッソと」の立ち上げに参画したことが、ひとつの転機となった。
カプチーノの泡がわずかに少ないだけで厳しく叱責されるストイックな環境で向き合った、一杯の珈琲に対する価値観と重み。それはつまり、珈琲の後ろに透けて見える自分が何者で、何を表現したいのかと言う問いそのもの。そして同時に、職人としてバリスタを突き詰める過程で、逆説的に生涯持ち続けることになる疑問が生まれた。それは、「今でも度々悩んでいるのですが、自分の表現をストイックに追求することだけが、果たして対峙する相手が求めているものなのか」というもの。自分が突き詰めている珈琲と、お客さんの求める珈琲、そこに大きな乖離を感じていた。その悩みは、更にいくつかのお店を経て辿り着いた「CAFÉ KITSUNÉ」で、より強く顕在化されていく。立ち上げからバリスタまで務めたこのお店が、瞬く間に人気店となる裏での葛藤。「表舞台で珈琲を淹れられる大きなチャンス、でもお客さんが珈琲そのものを求めて来ていないように感じてしまったんです」。
大きなうねりとして盛り上がりを見せ始めた業界の中で、珈琲の持つファッション性や話題性が、藤岡さんのスタイルを悩ませ続けた。「それから、自分のこだわりを押し付けるのではなく、受け入れてもらうためにはどうすべきかを考えるようになりました」と、葛藤の中で柔軟に変化を受け入れていくように変わっていく。コーヒーだけではない要素も組み合わせながら、自分のスタイルという答えを探し続けていた。「軸を持ちながらも、他者を受け入れ貪欲に吸収することで、自分のスタイルを更新し続けることの大切さに気付いたんです」と、藤岡さんは今にも繋がる価値観を見出していく。
回り道を経た先に待っていた、純粋さへの回帰
そんなある日、一人のアメリカ人が「CAFÉ KITSUNÉ」を訪ねて来た。藤岡さんのエスプレッソマキアートに甚く感動したその人こそ、ブルーボトルコーヒー創業者のジェームス・フリーマンだった。「この場所で長く続けるイメージもあったので悩んだのですが、日本の珈琲業界を変えたいという想いで最後は決めました」。昼夜問わず働いても地位が上がらない当時の業界を変えるヒントが、ブルーボトルコーヒーにはあるように思えたから。そこで見たのは、バリスタの待遇の良さ、手厚いトレーニング、高品質の珈琲。世界的な珈琲のメインストリームの中にリードバリスタとして身を置いた後、トレーナーとして裏方にまわり100名近くのバリスタを育てあげた。「育成を学ばせてもらうと同時に変わっていく業界の最前線から、今度はさらにその先を見ましたね」。
ブルーボトルコーヒーを筆頭とした業界の底上げで、今後バリスタは雇用も確保されるし技術も身に付けていくことができる。「一方で急激に飽和した業界の中で、これからの時代に個人店ってどうやって生き残っていけばいいのかという疑問が湧いて来たんです」。人生の次の局面を考えた時に、多くの試行錯誤を経て藤岡さんの人生が導いた一つの答えは、とてもシンプルなものだった。「シンプルさとは純粋であること。珈琲を無心で抽出し、お客様に提供することが何より好きな自分が、最後には純粋に自分の表現と向き合っていくことに決めました」。自分の「好きなこと」に立ち返り、お店を構え、育成でも焙煎でもなく目の前の相手と直接的に対峙する抽出という場所で、答え合わせをしていきたいと思った。そしてその表現の形も、イタリアやシアトル、オーストラリア等の系譜での幅広い経験を削ぎ落とし、海外の真似をするのではなく、純粋な日本人として立ち返った自分のスタイルをつくりたいと考えていた。
そして立ち上げたのが、「Satén japanese tea」。珈琲とお茶を組み合わせた新しいスタイルを持ち、昔の喫茶店の雰囲気の中に北欧の差し色を入れたり、カウンターに手漉きの和紙を入れたりと、世界のどこにもないお店を目指した。このお店こそが、日本人としての自分の個性、自分らしいものを表現したいという到達点であり、そしてまた原点そのもの。「日本の人が日常の中で使えるお店を作りたい。ここから日本のカフェのスタイルを改めて発信していきたいんです」と、真っ直ぐな目で未来を見据える。この場所で、自分で一杯ずつ淹れるという本質に向き合いながら、自分のスタイルと相手が求めるものが重なる部分を、今でも模索し続けている。「たくさん回り道をして来たからこそ、揺るぎない強い意志と自信を持つことが出来たんですよ」。ただ愚直に珈琲と向き合うこととも違う、自分のスタイルを信じ続けることとも違う、悩み続けることでしか見えない世界を開拓し続けていく。
自分のスタイルや人生のゴールに、答えを出すことは簡単に出来ることではない。現状に疑問を持ち、悩んで悩んで悩み抜いたその先に、削ぎ落とされた自分の生き方が見えてくる。答えが出ない、自分が見つからないという悩みを受け入れ、時に立ち止まりながらでも回り道をしながら少しずつ前に進んで行くことが、結局は答えを見つける近道なのかもしれない。「珈琲を淹れた回数と同じくらい、生き方に悩んだ数は誰にも負けないです」と話す藤岡さんの人生には、答えを急いでしまう私たちにとってたくさんの学びが秘められている。