長野県諏訪市にある古材屋、「ReBuilding Center JAPAN(リビルディングセンタージャパン)」の代表を務める、東野唯史さん。通称「リビセン」の愛称で知られる同店では、住居や店舗の解体現場に出向き自らが剥いだ古材や捨てられてしまう古家具をレスキュー(回収)し、再び誰かに使ってもらえるようにお店に並べている。”ReBuild New Culture”という理念を掲げ、古いものがごく当たり前に再利用され次世代につながっていく文化をつくっていきたいと活動している東野さんに、施設を案内いただきながら話を聞いた。
活動の原点にある、現場で抱いた「環境」への思い
新たな文化の創造に邁進する「ReBuilding Center JAPAN」の活動は、東野さんが携わってきたリノベーション現場での経験に端を発する。「余計なものを削ぎ落としたミニマムなデザインや、職人の気配が感じられないつるんとした仕上げがかっこいいとされていた中で、それとは真逆の手垢だらけのものに自分は魅力を感じていたんです」と、空間デザイナーとして独立した当時を振り返る。解体現場でパーツを拾って再利用したり、材木屋へ出向いて奥で眠っている木を見つけ出したり、図面では表せないような形で素材を組み合わせてみたり。そのとき出会ったものや居合わせた人でしか作れないもの、場当たり的なものを空間に落とし込むことがかっこいいと思っていたという。
仕事を通して住宅や店舗の解体現場で出る物凄い量のゴミ(産業廃棄物)を目の当たりにする度に、日本にもっと古材屋さんがあればいいのに、と思っていたという東野さん。新婚旅行で訪ねたアメリカ・ポートランドで「ReBuilding Center」と出会い、「これを日本でもやりたい!」と自身が古材屋を開く方向で動き始め、本家に直談判して名称やロゴを正式に引き継ぐかたちで、2016年に「ReBuilding Center JAPAN」をオープンさせた。
根元にあるのは、「大量のゴミを少しでも減らしたい」という、現場で感じたあの思い。自分たちだけが現場を回って回収するのには限界があるが、自分たちが手本となって背中を見せ、真似する人が増えることで、日本全体に古材を再利用するムードが広がり、実践する人も増えるのではないかと考えた。そうして、東野さんの活動の中心は、「空間デザイン」から「新しい文化の創造」へとシフトする。「デザインや、古材という素材自体には、いつか飽きが来るかもしれない。けど環境の問題って一度気付いてしまったら目を逸せないし、生涯共に歩んでいかなくてはいけないものだと思うんです」。自分たちの活動を、一歩引いた大きな目線で捉えてみる。そうすると、自分たちは単に古材のレスキューや販売に限らず環境へ配慮した活動を続けていくことが、大事な価値観ということに気付く。表現方法は変われど、環境問題という課題感は変わらない。好みだったり流行りだったりではない、絶対に移ろわないものを軸に据えることが大事なのだと、東野さんは教えてくれた。
「文化として育てていくためには、小さくてもいいので出来ることをやってみる、ということが大切だと思います」。環境のために出来ることを挙げようとすればキリがない。究極の地球に優しい生き方とは、エネルギーを極力使わずゴミを出さないような、自給自足の生活となるかもしれない。そうでなくて、頑張りすぎず、無理のない範囲で、小さな取り組みが続いていくことの方が大事であるという。「完璧さを突き詰めようとすると疲弊したり、つまらなくなってしまうと思うんです。ベストでなくて、ベターでいい。興味を持つきっかけは、おしゃれだからとか、楽しいからだからとか、そういったことでよくて、続けていくことの方がよっぽど大事だと思います」。そうやって、今日も東野さんは小さな取り組みを確実に実践しつつ、デザインの力で社会のサイクルの在り方を設計し続けている。
自分の周りの人を幸せに出来るかどうか、という判断軸
家族やスタッフなど、近しい存在の人を大切にしている様子が言葉の端々から感じられる、東野さん。きっかけは、「ReBuilding Center JAPAN」を立ち上げる前、奥様である華南子さんとの空間ユニットである「medicala(メヂカラ)」の活動に立ち返ることになる。「自分たちも施工に入って、施主やその友人達と一緒に空間をつくること」と、「依頼を受けた土地に住み込んでつくること」をモットーに、華南子さんとゲストハウスやレストラン等の内装デザインの仕事をしていた東野さん。「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」や「cafe&bar totoru」の設計は反響を生み、「うちもこんな空間にして欲しい」と仕事の依頼が増えていった。全国を転々とし、休みという休みなく仕事を続ける二人。家庭と仕事の境界線はあってないようなもので、ぐちゃぐちゃだった。無我夢中で働いていたある日、華南子さんが体を壊したことをきっかけに、東野さんは立ち止まって考えたという。「自分たちの暮らしもままならないのに、人の暮らしを作っているという歪み。やっと気付けて、月並みだけど『まずは自分たち(家庭)ありきだ』ってその時心に決めました」。全国を転々とするスタイルから一転、定住できる場所を求めて現在の諏訪市に辿り着く。
「仕事を深め、極めていくのが従来的な”職人”だとすれば、その頃の方がよほど職人的だったかも」と東野さん。なんでも自分らでやるスタイル。それによって自分のスキルは上がるし、関係性も仕事も増えていく。そんな当時を振り返り、「今は、なんでも出来るようにはなりたくないと思っています」と笑う。「チームの中では、全部2,3番手でいいんです」。一人でマルチに頑張るのではなく、一つひとつの仕事を切り出して、メンバーへ渡していく。最初こそスキルが伴わずとも、熱意を持って一つのことに取り組んでいけば、ある分野においては自分よりも知識もスキルも高くなっていく。その循環を辛抱強く繰り返していくと、専門性の高いメンバーが集まった、より強固なチームになっていく。「その代わり、チームがどこへ向かうかの舵は取るし、みんなが幸せに働けるような環境を作っていきたいと思っています」。
東野さんの言うみんなとは、自分たちのチーム、施主、大工さん、さらには地球を指す。「誰かが無理をしていたり、悲しい思いはして欲しくなくて。みんなにとっていい関係性で仕事をすることは絶対に出来るし、そんな優しい輪の中で経済は回るはず。実際、いまはそんな輪に身を置けている感じがします」と東野さん。自分の周りがより良く在ることを常に考え、コミュニティをいい状態で維持し続けることが大事であり、いい空気は伝播し、人の意識を変え、巡り巡って返ってくると信じている。
ひとつのことにとことん打ち込んでいた経験を経て、拠点を構え、コミュニティが生まれ、仲間も家族も増えていった東野さん。その視座はどんどん高くなって余分なものが削ぎ落とされていき、残ったものーー「家族」や「コミュニティ」や「環境」ーーには、ごく一般的な概念でありつつも、自身の経験に裏付けされた強い想いを感じた。「自分の目が届く範囲の大切な人たちが、幸せであること」。そんな、当たり前のようで口にすると少し恥ずかしくなってしまうような言葉を、真っ直ぐな目で語ってくれた東野さん。まず自分たちの人生があり、そこが充足して初めて、他者の人生をも変え得る説得力を持つ。物事の判断をするとき、自分だけでなく近しい「人」にも目を向けてみることで、自分自身がよりよく生きることに向き合うこともできるのかもしれない。