“デニム兄弟”の愛称でも知られる、兄・山脇耀平さんと弟・島田舜介さん。彼らが学生時代に立ち上げたデニムブランド「EVERY DENIM(エブリ・デニム)」は、活動開始から丸5年経った2020年10月26日デニムの日、「ITONAMI(イトナミ)」へと屋号を変え、ビジョンを新たにスタートを切った。2019年9月にオープンした彼らの施設「DENIM HOSTEL float」を拠点に岡山で活動する島田さんと、東京と岡山を行ったり来たりしながら活動する山脇さん。価値観を深いところで共有し合い、信頼を寄せ合っているのはもちろんのこと、漫才コンビかのように息ぴったりの掛け合いは、見ているこちらまで微笑ましい気持ちにさせられる。全てを共有し、共に道を切り拓いて挑戦を続ける二人に話を聞いた。
等身大であり続けることで、信頼を積み重ねていく
「EVERY DENIM」は、当時岡山大学へ通っていた弟・島田さんがデニム工場を見学したことをきっかけに始まった。「僕らが履いているジーンズが一本一本岡山で手作業でつくられていることや、国内外の有名なブランドと仕事をしていること、そして誇るべき技術があることを知りました。何より、目の前で作業している職人さんの姿が本当にかっこよかった」。目の当たりにした光景に衝撃と感動を覚えたという。ただ素直に、その感動をみんなにも共有したい、瀬戸内でつくられるデニムとものづくりの現場をみんなに知ってほしいと思った島田さんは、実の兄である山脇さんに声をかけ、「EVERY DENIM MAGAZINE」というウェブメディアの形で活動をスタートさせる。2015年、クラウドファンディングで資金を募り、プロジェクトという形でオリジナルのデニムづくりに挑戦してからは、工場と会話しながら職人のこだわりが詰まった数々の商品を生み出してきた。
そんな二人の役割はというと、工場とのやりとりや生産管理、経理など細かな「ものをつくるまで」に加え、昨年から「DENIM HOSTEL float」の運営を担当しているのが弟の島田さん。ファンとのコミュニケーションや様々な場所へ出向いての販売会など「ものを届けるまで」を担い、岡山と東京の二拠点生活を送っているのが兄である山脇さんという構図。「岡山県の児島に初の固定店舗をオープンさせたわけですが、そこで待っているだけでは新しい出会いは生まれないと思っていて。偶然を生み出すために、能動的に仕掛けていくことはこれからも続けたいと思っています」。島田さんが岡山で店舗と工場とを行き来しているの対し、山脇さんは様々なエリアへ自ら商品を持って出向き、アプローチしている。いわゆるD2C(Direct to Consumer)と呼ばれる、ブランド自らがものづくりから商品を届けるところまでを担うスタイルで活動を続け、直接作り手の想いや商品の魅力を伝えることで、多くのファンを集めてきた。過去5度となるクラウドファンディングを通して、毎度直接的につながったファンを数百人と集めていることも印象深い。
今や全国に広がるファンと共に歩む中で日々意識しているのは、等身大であり続けることだと言う。「飾って大きく見せたり、卑下して小さく見せたりするのは簡単なことだと思っていて。ありのままを見せるって、自分で自分の実力を認識して受け入れていないといけないし、さらにはそれを外に見せていくって勇気のいることだと思うんです」。それでも覚悟を持って等身大で勝負し続けているからこそ、今までの歩みには嘘偽りがないし、ちぐはぐになることもない。一本の筋が通った活動や発言が周りからの信頼につながり、さらに応援の輪が広がっていく。「例えば昨年つくった『DENIM HOSTEL float』も、もっと大きく豪勢なものにしようと思ったら出来たんです。でもそこにも自分たちを投影させ、背伸びしたものや違和感のあるものは作りたくなかった。お客様も僕らからそんな違和感を感じるものは受け取りたくないだろうと思ったんです」。取り繕わず、どこまでも等身大で、挑戦する過程すら公開していく。「何より、兄弟である僕らの掛け合いややりとり自体が自然体なので、偽りや繕う部分が一切無いというのも、安心感や信頼感を与えているひとつの理由なんじゃないかと思っています」。実兄弟ながら、島田さんが母方の養子になった関係で名字の違う二人は、お互いのことを「山脇」「島田」と苗字の呼び捨てで呼び合う。その様子はさながら友達同士のようだ。そんな二人のつくり出す空気感はいつも楽しげで、自分もその輪に加わってみたいという気にさせてくれる。「そんな僕たちの姿を見て、自分もやってみようとチャレンジする人が増えたら、もっと嬉しいですよね」。そう語る山脇さんの目はどこまでも真っ直ぐだ。
純度の高い想いを持って、やりたいことをやり抜く
そんな二人が口を揃えていう自分たちの強いところは、「純度の高い『やりたい』に、常に挑戦し続けていること」だという。建前ではなく、理由を並べるでもなく、純粋に自分たちがやりたいと思えることに向かえているかどうか。
2年前にキャンピングカーで47都道府県を回った時もそうだった。「販売という点からしたら非効率だと思うんですが、僕らが岡山でデニムの職人に出会い感動したように、全国各地に根ざしてものづくりをしている職人に出会いたい、地域のことを教えてもらいたいと強く思って実現させました」と島田さんは言う。15ヶ月かけて、週末は販売会、平日は職人を巡るという旅を続けた。そんなキャンピングカーでの旅を終え、店舗を持たないスタイルを売りにしてきた彼らが自分たちの拠点を作ろうとした時もそうだった。「宿だけでなくアパレルとしての直営店機能も担っているので、戦略的に考えるなら、東京を始めとする都市部などもう少し人口密度の高い街に拠点を持つべきという話も出たんです」。でも、彼らはやりたいことの純度を考え、デニム発祥の地である岡山県の児島を選んだ。「たくさんの人にデニム生産地であるこの児島の景色を見て欲しいし、実際にものづくりをしている人たちと触れ合って欲しいという思いがありました」。
例えそれが合理的じゃなくても、遠回りでも、常に自分たちで決めた「純度の高いやりたいこと」が実現できる環境をつくり、同時に守ることを意識していると言う。「例えば、卸売を始めるかどうか悩んだこともありました。全国に卸すことで売り上げも接点も増えるのですが、お客様と僕らの繋がりは弱くなる。販路を自分たちの手から放して拡大する方向は、今の自分たちにはまだ早いなと思いました」。そうやって、少しでも違和感があることは、やらない。心の底からやりたいと思えることだけを、やっていく。「それはお客さんにも伝わると思うし、僕らの熱量にも比例すると思うんです」と山脇さん。「自分らで考えた末の結果であれば、なんであれ後悔はしません。上手くいかなかったときは、考えていたこととどこがずれていたのか、次はどうすれば良いのかを、徹底的に話し合うまでです」。
それ故に手放してきたこともあることを、彼らは自覚している。「いままでは、だいぶゆっくりやってきたなという実感があります。ブランドの圧倒的成長とか、スピードとか、拡大とか。そういうものと引き換えに、僕ら自身の成長や、顔の見える関係性を紡ぐことに時間をかけてきました」と山脇さん。「裏を返すとそれは、身軽だからこそ出来たことなのかもしれません。これからは、岡山の街や仲間たちのために、背負うものを大きくしていきたいと感じています」と島田さん。自分たちの現状を冷静に見つめながら、真っ直ぐな言葉でそう語る二人。決意新たに、自分たちのやりたいことをやり抜く強さも持ち合わせながら、これからはスピードも上げていきたいと話す。
じっくりと、でも着実に、新しいことに挑戦し続けてきた山脇さんと島田さんは、次第に「EVERY DENIM」を超えたような感覚になっていった。活動を始めて5年が経ったいま、もっと長い目で見て自分たちの活動の軸となり、自分たちをより高みに引き上げ得るようなものにリブランディングすることに決めた。そうして誕生した「ITONAMI」は、暮らしの営みやデニムの糸、瀬戸内海の波をその名前に込めているという。「自分たちの想いや価値観が伝播して広がり、影響を与え合う様子を波のイメージに重ね合わせています」。いままでの屋号を手放すことに寂しさは無いのかと聞くと、「全くありません。前を向いて、『EVERY DENIM』に『いってきます』という気持ち」だと笑う。
商品開発、試着販売会やワークショップ、さらには宿泊・滞在という提案を通して、デニムづくりに関わる職人たちの想いやこだわりを届け続けている山脇さんと島田さん。こだわりあるものづくりと、それを外に広く届けようとする独自の眼差しをもって閉じていたデニム業界に風穴をあけてきたが、さらには工場の立ち並ぶ地域に拠点を持つことで、内と外とをよりフラットにつないでいきたいと奮起している。そんな彼らの姿に、己の技術を追求しひとつのことを深く掘り下げていくような従来の職人像とは異なる、“現代の職人”像を垣間見た。
山脇さんと島田さんのように、自分の実力やポジションを俯瞰して認め、受け入れること。更にはそれを、覚悟を持って外に見せていくことの難しさ。ありのままでいたいと願う心のうちとは裏腹に、いつからか少し背伸びするようになり、人によく見られたいと思うようになり、自分を大きく見せてはそれに追いつこうと必死になってきた人も多いのではないだろうか。そうやって自らに高いハードルを課すことも時には大事だが、そればかりでは長い目で見た時にきっと疲弊してしまうだろう。彼らのように等身大で偽りない自分であり続けることで、本当に必要なものだけが見えてくるようになるのかもしれない。