今回のスミスは、メジャーレーベル「ビクターエンタテインメント」のA&R ディレクターを経て、自ら設立した音楽プロダクション「ondo」を起点に、フリーの音楽ディレクターとして活動する杉本陽里子さん。彼女は、ラインナップやブースの趣味の良さに定評のある音楽イベント「CULPOOL」を主催するなど、身一つで音楽愛を体現し続けている。なお、同イベントはこのコロナ禍にもオンライン開催を敢行。YouTube Liveを使い無料で、さらにライブの配信と同時に、お客さんの自宅まで飲食メニューを直接届けたという。そのデリバリーチームまでゼロから作るという、あっけらかんと明るい人柄からは想像できない胆力こそが、多くのミュージシャンが彼女に信頼を寄せる所以だ。
本人は、早くから音楽を分析する癖があり、批評家や編集者を目指したこともあったが、より当事者に近いところで音楽と接するために今の立場を選んだ。本記事では、その強烈な音楽愛の根源に迫る。
批評家精神の芽生え
杉本さんは幼少期からピアノやバイオリンの教室に通っており、両親は日頃からサザンオールスターズやユーミンのようなポップミュージックを家で流すなど、常に音楽が身近にある環境で育つ。小学校高学年になると自宅にCS放送が導入され、スペースシャワーTV(音楽番組専門チャンネル)が彼女の宇宙を押し拡げてくれた。また、当時といえば小室ファミリーがセールスにおいて音楽シーンの頂点に君臨していたが、本人はどちらかというと、地元・大阪のFM802(ラジオ局)から流れてくるミスター・チルドレンやザ・イエロー・モンキー、スピッツのようなロックバンドに夢中になっていた。
「スピッツの草野マサムネさんがFM802でレギュラー番組を持たれていて、ミュージシャンが何を考えて音楽を作っているのかを知ることができたんですよ。そこで私も音楽の中身を分解して聴く楽しさを覚えました。また草野さんは、フィッシュマンズとかサニーデイ・サービスのような中学生の自分が知らないバンドも番組内でたくさん紹介してくれて、その影響からか文学的でアウトサイダーな音楽がずっと好きでしたね」
彼女は、国民的な人気を誇ったスピッツでさえも、どこか“アウトサイダー”なバンドとして捉えていたという。スピッツといえば、周りは「ロビンソン」のようなヒット曲をお気に入りに挙げる中で、彼女は最初期の作品を掘り起こしそこに眠るエッジーな要素の虜になっていたのだ。
一方、楽器を演奏することにはどうも苦手意識があり、自分の脳内で鳴っている理想の音を具現化できずモヤモヤしていた。そこから徐々に、「自分は音楽を分析する立場が向いているから、大人になったら独自の”見方”を生かした仕事がしたい」と考えるようになった。
「今でもよく覚えているんですが、高校に入って私の友達がゆずの大ファンで、彼女に連れられて初めてライブに足を運びました。私はそれまで『夏色』くらいしか知らなかったのですが、いざライブを見ると、360度キラキラ輝く北川さんと、音程がブレない強靭な歌声の岩沢さんに圧倒されて。友だちがこれだけ夢中になっている理由を体感しました。それに、自分が惹かれたナンバーガールやくるりのような音楽は、通っていた女子校の中でマジョリティではなかった。ファッションや恋愛の話では盛り上がるのに、音楽の話だけは合わないのがつらくて。ただどこかに同じ想いの人が居るだろうけど、今は好きなものを無闇に主張するよりも、みんなはなぜこれが好きなのかを分析して理解しようと努めたんだと思います」
音楽が生まれる「背景」を知るために
高校卒業後、京都女子大学の現代社会学部へ入学。政治、経済、心理学、歴史……そこは、社会を形成しているあらゆる要素について学ぶところだった。彼女はそういった文化の「背景」にこそ興味があった。自分の好き嫌いもあるにはあるが、それを表立って主張することに関心がなく、どこか観察者っぽい性質が強い、というのは本人も認めるところだ。
「そういう性格だから、音楽ライターとか編集者になろうと思っていた時期もありました。だけどあるとき、いくら共感できる文章を書いていたとしても、筆者は音楽を作っていないんだよなって……つまり、音楽自体は変えられないじゃないですか。音楽の良し悪しにも絶対に何かしらの事情があるはずで、私はそれを理解した上で何かしらの行動をとりたかった。だから、『音楽産業の真ん中=現場』にみずから飛び込んで内情を知ろうと、レーベルへの就職を考えたんですよね。自分の感覚としては、内部取材、みたいな感じで。部署を希望するときも、出来上がったものを世の中に広げる役目の営業や宣伝ではなく、企画から携われる制作を選びました」
つまり、大手の音楽レーベルへの就職は、フィールドワークのようなもの。また彼女は、どんな分野のミュージシャンでも「アーティストとして真正面から仕事に向き合っている姿」を日々見つめる中で自然とリスペクトしていたので、個人的な音楽の好き嫌いが仕事に影響を及ぼすことはなかった。むしろ、個人からスタートした表現が多くの人に感動を与え、ビジネスにかわっていく瞬間を目の当たりにするたび、昔は明確なイメージを持たなかった「音楽ビジネス」を肯定的に捉え始めている自分がいた。
逆に、いくら音楽がすばらしくとも、ビジネスのアプローチが洗練されていないミュージシャンに対しては疑問を抱くようになったという。
「自分が制作に携わったバンドの中でも、サカナクションのアプローチには大きな影響を受けました。構築的な楽曲で知られる彼らは、私が担当していた当時『ぼんやり作る』ということがなかった。時には『切なさ◯パーセント』『かわいさ◯パーセント』など曲の成分を円グラフに書き出したりしながら、一つの明確なディレクションにスタッフ含め全員で向かう手法をとっていて。バンドといえば、メンバーがスタジオに集まって一斉に音を出すようなイメージがあるかもしれませんが、彼らは企画を立てるかのごとく緻密なアレンジを描いていたんです」
良い音楽を作るだけではなく、それを広めるところまで責任を持つのが「クリエイション」。ただ、それも自分の哲学というわけではなく、あくまでメジャーレーベルの人格として当たり前にそう考えていた、という。自分の立場に応じた考え方や行動指針を柔軟に持つことができる彼女は、同世代と比べてだいぶ「大人」だったのだろう。
一周して、自分の「好き」を体現する道へ
さて、制作ディレクターとして自信がついてきた頃、彼女の中での「音楽愛」がまた別の形で動き始めた。そのきっかけは、今も定期的に主宰している音楽イベント「CULPOOL」だ。
「当時、The fin.とかnever young beachのような、グローバルな視点を持ちつつ、マーケティングで作り出したのではない“ナチュラルに格好良いバンド”が台頭してきたんです。いち音楽ファンとして魅了されたし、ディレクターなので常に新人アーティストの情報は追いかけている中で、次は彼らの時代が来るという予感ありました。ただ、彼らを今すぐ既存のロックフェスに送り込んでも、フェスに慣れたお客さんとの相性が良くないから機能しない。かといって、そこから一つのバンドに絞って従来のやり方でビジネス化することも難しい。ファンベースもカルチャーも、当時のメジャーが向き合っているところとは違っていたんです。そこで私は、そういうミュージシャンを集めたショーケースイベントを自分で主催しようと考えました。それも、平日の夜にバンドをただ並べて業界人にみせるようなものではなく、各々のバンドに合った“背景”と“文化”があるものを」
「CULPOOL」には、まだブレイクしていない、あるいは戦略的に売れようとしていないミュージシャンも多数ブッキングしている。そしてその音楽を、彼女は心の底から愛している。もし一度コミットしたメジャーレーベルのやり方に固執して、「ビジネスとして成立する音楽=正解」と決めつけてしまっていたら、このイベントの発想は生まれなかったはず。過去の成功体験は捨てて、シーンの変化にあわせて自ら行動をおこす……これは文字面ほど簡単なことではないはずだ。
さて、そうして2015年に生まれた「CULPOOL」は、前述のThe fin.やnever young beachや女性シンガーソングライターのiriが出演、さらに森枝幹さんがシェフを務めていた『サーモンアンドトラウト』など音楽以外のジャンルも巻き込みながら、リキッドルームの2Fを使用して東京に新しいイベントカルチャーを生み出した。しかし、在籍していたレーベルの中ではCULPOOLは大して話題にも上らない。そこでふと、かつて学校でまわりと音楽の話が合わなかったことが頭をよぎった。
もう今度は自分でやるしかない。フィールドワークを終えた彼女は、そこでついに独立を決めた。
さて、「CULPOOL」の目的は、若手をフックアップするだけでなく、すでに知名度のあるミュージシャンに対して新しい視点を与えることにもある。それはまさに、学生の頃ぼんやりと考えていた「自分の見方を提示する」ことに通じる。彼女の言葉を借りれば、本イベントは「リアルなメディア」である。
「もちろん、私の意図を全て受け取ってくれている人はきっと一割くらい。だけど、自分の中で高い濃度でやっておくと、時間をおいても消費されないものになる気がしています。集客を考えて人気のあるミュージシャンを並べるイベントも多いんですが、本来は主催者側がもっと演出を意識すべき。『イベント=メディア』自体に賛同者をつけることで、ミュージシャンのファンに依存することなく、ひいては音楽の受け取られ方に多様性をもたらすことができるなって。規模的にはまだまだ未熟なイベントですが、目的は音楽の環境を変えることにあるんです」
「ondo」という名前の由来は、自身の活動を通して世界の「温度」をちょうど良いものにしていきたい、という彼女個人の思いから。日本ではコンビニでもスーパーでもとりあえず何かしらの「音」が鳴っているが、一方で毎日のように飲食店でライブが繰り広げられているパリやニューヨークと比べると、「音楽が身近にある」とは言い難い。その環境を良くするために、「CULPOOL」以外にも、2019年からは最適な音響と解説トーク、オリジナルカクテルと共に一枚のアルバムを堪能する「HUG ALBUM」のようなイベントも開催している。
「実際に音楽を聴いていないときにも自分の中にはつねに”音楽”がある。私にとって音楽はインフラや自然環境に近いもので、支配するものではなく支配されるもの、なんですよね」
音楽にまつわるアレコレを内側からじっくり「取材」してきた杉本さんは、今度は自分の中の「良い」に従ってインディペンデントな道を歩み始めた。音楽業界人のスキルは身につけても、その根幹には熱狂的な音楽ファンとしての杉本陽里子がいる。