今回のスミスは、美しい旋律を生み出すミュージシャンであると同時に、活版印刷の工房「Allright Printing」で働く活版印刷職人でもある東郷清丸さん。ミュージシャンとしては、2017年にファーストアルバム『2兆円』、2019年にセカンドアルバム『Q曲』を発表し、アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文に絶賛されるなど、音楽的に高い評価を受けた。東郷清丸は「ミュージシャンズ・ミュージシャン」、つまり同業から世代関係なくリスペクトされる存在で、実際にライブを行うときは業界屈指の手練たちが大集結する。一方、「Allright Printing」では、日々鍛錬を続ける職人である。
このように、他ではあまりお目にかからない類のプロフィールだが、本人はどのようにして今の立ち位置を見出したのだろうか。現在のパーソナリティを形成するに至った経緯と、本人の哲学めいた意識の源に迫る。
根拠なき自信、そして迷いの時期
東郷さんが中学2年生のとき、引越しの作業中に父親が所有していたアコースティックギターが偶然出てきた。それまでバスケに打ち込んできた彼は、そこで遊び程度にギターを弾き始めたことから、自然と音楽の方へ歩み出していく。もともと生活の中で音を鳴らすのが大好きなタイプだったが、家庭環境にもその芽はあったという。
「母が学生時代、全国大会にいくようなレベルの吹奏楽部に入っていて。また、家では歌番組がずっと流れていましたし、家族でカラオケにもよく行っていました。僕は5歳ですでに『15の夜』を歌っていましたね(笑)」
高校に入ると友人とバンドを組んで、アジアン・カンフー・ジェネレーションやバンプ・オブ・チキンなど当時大人気だったバンドの楽曲をカバーするところから始めて、徐々にオリジナル曲も作りはじめた。そこですぐに才能が開花し、勢いで出場したバンドコンテストでは審査員特別賞を受賞。ただ、「自分はこのジャンルを極めたい」というようなこだわりがあったわけではなく、先輩のiPodやツタヤでジャケットをみて直感的に気に入ったものを雑食的に摂取していた。そこから、その時々で良いと思った音楽を柔軟に表現できる器用さこそが、彼のミュージシャンとしての特徴だ。
そして彼は、そんな自分の「器用さ」を早くから認識していた。
「小さい頃から謎の自信があったんですよね。高校生のコンテストのときも審査員賞もらったのに『なんでグランプリじゃないんだ!』って疑問に思ったくらい(笑)。別に周りの誰かがことさら『すごいね』と褒めてくれていたわけでもなくて。ただ、例えば『鉄棒の授業でみんなが怖がってやらないグライダー(飛行機飛び)に挑戦してみたら、あっさりできた』みたいな、ほんの小さな成功体験からでも自信を得られる人間だったんです。中学まで部活に入っていたバスケだって、公式トーナメントの予選一回戦で負けてしまうような弱いチームに所属していながら、NBAの選手になれるって途中まで本気で思っていましたから。自分は身体が小さい、非力だから3ポイントもきめられないんですけど、なんか、何とかなるんじゃないかと」
まさに物は考えようである。その話しぶりからは、自分が他人と比べて元来ポジティブな性格であることを認めながら、どこかその方向に自分の思考を持っていこうとした、そのために自分自身を真摯に見つめた努力の痕跡を読み取ることができた。彼は、無闇に自分とは異なる誰かに憧れてアイデンティティを見失うくらいなら、手持ちの武器を最大限活用することを、学生のころから強く意識していたのかもしれない。
「ただ、そのせいで大学時代はかなり葛藤していました。自分を大事にしつつ周りを大事にする、その方法が全く分からなかった。当時はバンドメンバーや親を傷つけがちだったし、それで自分も嫌な気分になっていつも落ち着きがなくて。少しずつ社会性を獲得していく中で、大学で組んだバンドでは思うように結果を出せず、満たされない気分がありましたね。一方で、『音楽を作る人はこのくらい荒れている方がいいんじゃないかな』なんて変なことを考えたりもして、脳内はグチャグチャ。そのときばかりは自分の自信とかプライドが邪魔でした」
大学の4年間は、自分と社会との折り合いについて悩みに悩んだ時期だった。自分自身と禅問答を繰り返している、いつもそんな調子だったから、卒業後の仕事について何も考えられなかった。当時はまだ実家住まいだったが、両親は社会人になったら独り立ちすることを強く求めていたし、彼にもそのつもりはあった。しかし、具体的なプランが何もなく、「今日の延長線上に明日がある」としか思っていなかったのだ。脳と行動がどうにも噛み合っていなかった。
卒業年の秋口になると、いよいよお尻に火がついてくる。「今から応募が可能で、なおかつ興味が持てる分野」という条件で絞り込んでいくうちに、とある印刷会社に行き当たった。
「ずっとバンドのフライヤーを自分で作っていたんですよ。でもデザインを専門的に学んだわけではないから、仕上がりはそこそこな出来。自分でもより刺激的なものにしたいと思っていたから歯痒くて。それである日、リソグラフ(1980年に誕生した孔版印刷という方式のデジタル印刷機器。和紙を版として使用しており、アナログな風合いに仕上がることから、国内外のアーティストの間で人気が高い)の存在を知り、たとえデザインがイマイチでもそこに別のテクスチャーが加わると、全体の印象がガラッと変わることを発見したんです。音楽の他に『印刷』というワードが自分の中に入り込んできた最初のタイミングですね」
そこで面接を経て無事、営業担当として入社することが決まる。だが、彼はまたもや壁にぶち当たる。印刷に対する興味が高まる一方で、知らない人たちに会って自社の事業を説明してまわるという営業職に、彼の性格が向いていなかった。「東郷清丸」という個人ではなく「印刷所の担当者」として扱われることが、彼にとっては居心地が悪かったのだ。また、印刷の現場に携わりたいという思いが強かった彼にとって、印刷クオリティのコントロールができる立場になかったことも、仕事に違和感を覚えた要因の一つだった。
「器用」で「自信満々」な彼も、実はこうした失敗をいくつも経験している。だが、それを含めた「東郷清丸」であることを、彼自身は甘んじて受け入れている。
「選択した数だけ『やっぱ違ったな』ということはあるし、今でもその数が減っているわけではない。でも、『大失敗だ、もう死にます』みたいなことは幸いにしてまだ経験していないし、そもそも失敗したらどうなるかを気にしていない。失敗しなかったら良かったのかというと、そうでもないじゃないですか。自転車だって何度も転んでやっと乗れるようになる。だったら、失敗も含めてこれまで自分が選んだものをいま面白く見せるしかないし、自分自身がそれを楽しむしかないと思っています」
独自の世界を築き上げる
その後も彼はめげずに未来を選び続けている。最初に入った会社を辞めたあと、現在所属する「Allright Printing」に活版印刷職人として入ることに。それは、かつて彼が組んでいたバンドのメンバーが、Allrightのメンバーたちと一緒に仕事をする機会があり、その縁で東郷清丸のライブ(当時はソロではなく別バンド)に遊びにきてくれたことがきっかけだった。その後、会社を見学した彼はその風通しの良さに強く惹かれ、Allrightのメンバーもまた東郷清丸のキャラクターに可能性を感じていた。
転職してからは夜学でデザインを学びながら、並行して音楽活動を続けていた。しかし、思ったよりもスケジュールがきつく疲弊してしまう。そんなときAllrightの代表、髙田舞さんから「明日死ぬとしたら何がしたいの?」と訊かれ、反射的に「音楽です」と答えた彼は、自分が音楽が欠かせない人間であることを痛感した。2017年、東郷清丸名義として初めて「ロードムービー」という楽曲をネット上に公開し、同じ年の11月には「Allright Printing」内に立ち上げたレーベルからファーストアルバムを発表。
「自分と他人、活版印刷と音楽……自分は常にバランスの取り方を試行錯誤してきたし、想像とは違った道を歩んできました。今は、その意外さも含めて楽しめるモードになっています。周囲からは『東郷くんは自分らしいやり方で成功しているよね』と言われることがあるんですが、それはたぶん、事実としてどうかはさておき、僕自身がそう思っているからなんですよね」
つまり、成功の定義は自分の中にしか存在しない、ということ。どこかに東郷清丸という島があって、そこで定期的に開催される祭りの音頭が外部まで漏れ聞こえてくる……この話からそんなイメージがふと頭に浮かんだ。既存の権威に依存するのではなく、彼にしか持ち得ない文脈があるのだ。それは音を聴けば一発で伝わってくるだろう。その「やたらと楽しげなムード」に惹かれて、ライブを行う際には角銅真実など著名プレイヤーたちが彼の元に集結するまでになった。
傍からは、そこに立派なコミュニティが形成されているように見える。では、かつて「他人を大事にする方法」が分からなかったという本人は、現在どのようなコミュニケーションを心がけているのだろうか。
「重視しているのは、自分が気分良くあること。自分が過度なプレッシャーに晒されて焦ったりすると、その雰囲気だけで周りは気を遣ってしまうから。ちょっとでも『やばい』と思ったら『まぁどうにかなるでしょ』っていったん課題をテーブルから払い落として、気分良く過ごすことを優先します。人に会う前に外を散歩するとか、お菓子をたくさん買って楽屋に置いておくとか、ちょっとしたことで心模様って変わりますよね。少なくとも、人の首根っ子を押さえて自分の望む方向に動かすようなことはしたくない。それだったら、その人が『あ、こっち楽しそう』って自然に向かうようにする、ある意味で“祈り”のような準備をすることが大切で。その準備が一番楽しいなっていうのが、最近分かってきたんですよ」
各々が個として自立していること、その上で補完し合う関係を、彼はひとつの理想形と捉えている。そこには、「世の中の全員がフラットである」という前提があるという。バンドメンバーや仕事仲間に限らず、能力(スキル)や年齢によるヒエラルキーを意識することはない。おれはすごい、あんたもすごい。だからこそ各々が自信を持って生きていけばいい。シンプルに、そういうことだ。
自分だけではなく、他人も含めて、自然に流れていくこと。その流れを変に制御しようとすると、それこそ大学時代のころのように、他人を傷つけることになりかねない。それは、まわりまわって自分の心をも蝕む。今は、コミュニティにしても自分の心にしても、欲望に忠実に、自然であることを何よりも重視しているという。だって、生きていますからねーー彼のこの一言が、音楽の根底にある自由気ままなヴァイブスにも通じているかのようだった。