今回のスミスは、「母たちが“自分自身を整える”」を軸としたコミュニティ運営を行う『HAHA PROJECT(ハハプロジェクト)』の代表を務める、林理永さん。2人の子どもを育てるお母さんでもある。
華やかなファッション誌を中心にフリーランスの編集者・ライターとして活躍していた林さんだが、出産を機に、多くの働く母たちが抱える「子育てをしながら仕事をすることの大変さ」に自らも直面。社会システムの在り方に疑問を持ちはじめ、女性にとって本当に生きやすい社会の実現に向け『HAHA PROJECT』を立ち上げた。ライフステージの変化により変わっていった環境と、その中でも変わらず林さんの中に貫かれているものに注目し、話を聞いた。
「勝気さ」の根元にあるもの
林さんが昔から意識してきた軸に、「かっこいいと思えるかどうか」があるという。「幼少期からずっと『男子に負けない』という気持ちで過ごしてきました。絶対100点とるとか、学級委員に立候補するとか、ピンクは着ないとか。20代までは、男子と対等に渡り合うことが自分にとってのモチベーションでしたね」。そんな林さんにとって、結婚して家庭に入ることは、社会から引退することと同義であったという。「私は絶対に引退しない、と思っていて。仕事も家庭も完璧に両立してやる、と当時は本気で思っていました」。林さんの持つ勝気さというのは、つまるところ、自分なりに「かっこよく生きたい」という思いの現れでもある。
大学を卒業してからの林さんは、女性ファッション誌の編集という華やかな世界の第一線で働いてきた。ファッションが好きだった林さんは、大学3年生のある日、『VOGUE girl』クリエイティブ・ディレクターの個人アシスタントの求人を見つけ飛びつく。大学と編集部とを行ったり来たりする日々を経て、卒業後はそのままフリーの編集者として独立。クリエイティブ・ディレクターの右腕として『VOGUE girl』の創刊と運営に携わった後、女性ファッション誌だけでなくライフスタイル誌やカルチャー誌、広告、ウェブやイベントの企画など、昼夜問わずオールマイティに編集の仕事を続けた。「社会で認められたくて、成果を出し、稼いで、とにかく男性に負けないようにと必死で頑張っていましたね。ミーハーなところもあったので、いろいろな場所へ行けていろいろな人に会える編集の仕事は楽しくて、無我夢中で働きました」。
そんな林さんは27歳の時に、今後の価値観を形成する“出産”というターニングポイントを迎える。直面したのが、子育てをしながら仕事をすることの大変さ。母親が仕事復帰するために保活(=子どもを保育園に入れるために、保護者が行う活動)をし、仕事復帰するためには保育園へ預けることが当たり前。保育園に落ちてしまうと、仕事復帰ができない、会社を辞めざるを得ない、政府への怒りが湧いてくるといった有り様だった。そんな現場を目の当たりにした林さんは、本来ポジティブで幸せなはずの子どもを産み育てることが、そして同時に自分自身の人生を歩むことが、こんなにも難しいことなのかと心が痛んだという。
それらの体験を通して湧いてきたのが、専業主婦でもない、会社員でもない、その間の働き方や生き方を選べるようになれば、母である女性たちにとって本当に生きやすい社会が実現するんじゃないか、という思い。そんな仮説のもと、『HAHA PROJECT』は誕生した。
「正しいことを言っていても、かっこよくなければ伝わらないこともあると思うんです。だから、『HAHA PROJECT』は自分がいいと思えるスタイルで発信していきたいと思っています。お母さんであってもなくても、かっこいいねと興味を持ってもらいたいんです」。見せ方やデザインの重要性をファッション誌の編集という世界で肌で感じてきた故の、かっこよさへのこだわり。本質を捉えながらも、伝え方を模索し続けること。それは、林さんの持つ編集という職能を異なる領域へ応用していくことでもあった。
「愛のある社会」の実現に向けて
共同保育・共同教育を目指したコミュニティづくりを軸に、母子がひとつの場を共有して育児と仕事の両立を目指すことで保育園以外の選択肢を用意しようという実験から、「子育てに第三の選択肢を」というコンセプトで『HAHA PROJECT』は始まった。2018年には新宿にあるお寺で、2019年には広尾のとあるオフィスで、大人と子どもが共存し、育児と仕事を両立できるワークスペースを実現させようとしてきた。
プロジェクトは順調に進んでいるように思われたが、次第に林さんは新たな違和感を覚えるようになる。「子どもたちとの時間もやりたいこと(仕事)も、両方大切にしたいという純粋な思いを叶えるためにやっている活動でした。それなのに仕事に復帰することで、イコール論理的でいなきゃいけない、成長しなきゃいけない、稼がなきゃいけない、という社会からの要求と直面して苦しくなってしまう。お母さんが幸せに生きるために始めた活動なのに、それって本末転倒じゃないかなと思えてきました」。仕事に復帰すること、いわば男性中心の社会で戦い続けることが前提となっていたことに、林さん自身が疑問を持ち始めた。
現代の社会では、いかにモチベーションやコンディションを高く保ち、自らを成長させていけるかという点が重要視されているが、本来人間はリズムがある生き物であり均一ではいられない。特に女性にはとても豊かなリズムがあるにも関わらず、見て見ぬ振りをしたり封印したりして仕事をしなくてはいけない。母たちに仕事復帰への環境を整えたところで、本当に幸せになれるのだろうか。考えれば考えるほど、そもそもの社会の仕組み自体に問題があるように思えた。
そうして林さんがたどり着いたのが、育児と仕事が両立できる「子育てに第三の選択肢がある社会」を経て気付いた、「愛のある社会」をつくりたいという思いだった。
心理学的な考え方に基づくと、生物学的な性別とは別に、人間は誰しも思考と行動において男性性と女性性とを持ち合わせているといわれている。「たくさんのお母さんと関わり対話するようになって気付いたのが、自分には何もできない、自信がない、と思っている人の多いこと。その理由は、恐らく社会で男性性的な認められ方をしていないから、社会的地位や権力が無いからなんじゃないか、と思いました。私からすれば、こんなに気遣いができて優しくて、共感性が高くて……彼女たちは素晴らしい素質を十分に持ち合わせているのに」。
林さんは、まだまだ主流である男性性的な論理性と合理性でつくられたこの社会に、女性性的な感性や受容性を投じて、豊かな経済圏を再定義したいのだという。「誰しもが持ち合わせている思考や行動を封印したりせず、自分らしいバランスをとりながら生きられる社会って、とても優しくて豊かだと思うんです」。
「男性性的な社会か/女性性的な社会か」という相反する二つの価値観のどちらか一方ではなく、それらを包括した広い視点で捉え、理想とする新たな価値観を生み出そうとしている。
そのために現在林さんが取り組んでいる実験が、「母たちが“自分自身を整える”オンライン上のシステムの確立」と、「母たちの心と体を整える場づくり」。現在の社会の中で女性たちが抱える苦しさや不安に寄り添っていきたいと話す。「当初はゼロからプラスに引き上げることが大事だと考えていましたが、一番大事なのはマイナスからゼロ、原点に戻ることだと気付きました。自分のメンテナンスができて自身の原点を客観視できている状態であれば、そこから自分のやりたいことを選ぶとか、働き方を選ぶとか、そういったことは自然にできるようになるのではないかと思っています」。今春には、オンライン上の仕組みと、神奈川県の葉山町に自宅と併設された活動拠点とをつくる予定だ。
林さんはこれまで、社会に対する違和感から目を逸らさずに、自身の理想とする世の中に変えていくための挑戦を重ねてきた。社会システムを変えるような挑戦は、決して容易なことではない。「やってみて違うなという時もありますが、やってみないと分からない。でも何より、これをやったらどうなるんだろう?と自分自身もワクワクしながら“実験”に取り組んでいます」。林さんはそうした挑戦を“実験”と表現し、自分自身にとってもそこに関わる人たちにとってもワクワクする体験に変換することで、軽やかにその過程を楽しんでいるように見える。
そんな林さんの動きは、ある意味で非常に編集者らしい。編集者の役割がメディアという場をつくることであるならば、『HAHA PROJECT』における林さんもまた、母たちのための場をつくるという意味では同じ役割を果たしているのだ。自分自身で場のコンセプトを定め、さまざまなプロフェッショナルをそこに集め、コンテンツを生み出すことで、場を編んでいる。
「『HAHA PROJECT』は、私にとって人生を賭けて実現させたいもの。生きている意味でもあり、使命でもあるように感じています」。自身や周りの人の実体験に裏付けられているからこそ言葉には嘘がないし、我々もまた当事者であるが故に、そのような社会が実現することを願わずにはいられない。
理想を追求しようとすればするほど、目の前の現実とのギャップに思い悩んで立ち止まってしまうこともある。ただ、立ち止まっていては理想は遠ざかるばかりである。“実験”という挑戦を繰り返していくことこそがそこへ近づく一番の近道であり、実験結果がわからない状況すらワクワクと楽しめる心が、不確実な時代を生きる我々にとって必要なことなのかもしれない。