今回のスミスは、代々木上原エリアを中心に数々の人気レストランを手掛け、プロデュース業やディレクション業で活躍している、シェルシュ代表兼エグゼクティブシェフの丸山智博さん。
フレンチレストラン勤務を通して料理の腕を磨いたのち、2010年に代々木上原にビストロ『MAISON CINQUANTECINQ(メゾン サンカントサンク)』を開店。以来、『LANTERNE(ランタン)』、『AELU(アエル)』など個性的な飲食店を立て続けにオープンさせてきた。最近では東京ミッドタウン日比谷のヒビヤセントラルマーケット内に居酒屋『一角』をプロデュースしたり、小川珈琲の新業態『OGAWA COFFEE LABORATORY』ではコーヒーとのペアリングを重視したメニューを監修したりするなど、幅広く活躍する。
料理人でもありプロデューサーでもある丸山さんは、どのような視点で新しい体験を生み出し、バランスをとっているのだろうか。新しい“食体験”を提案し続けている丸山さんに、話を聞いた。
『ひと皿』から始まる光景
丸山さんの店づくりは、徹底的な他者目線から始まるという。お客様が目の前にする『ひと皿』が置かれたテーブルの上を、一番に想像する。「座ったテーブル席から見える光景が、最高に心地よくてワクワクするお店でありたいと思っていて。まずはテーブルの上をお客さん目線で考えて、そこからだんだん引いていって、最終的には満席時の店内をイメージしながらお店をつくっています。テーブルには美しい料理が並んで、お客さんが嬉しそうで、スタッフも楽しそうで、みんなが最高にいい空間だなあって思えるように」。『ひと皿』のディテールを突き詰めるミクロの視点と、『空間全体』を俯瞰するマクロの視点とを行き来しながら、内装、装飾、音楽など、テーブルでお客様が感じるすべてに想像を巡らせ、気を配る。内装の議論中に、「一旦戻ってテーブルの上からいきましょう」と考え直すこともよくあるという。
オーナーシェフが自分の理想郷をつくり上げるような店づくりとは少し異なり、みんなにとっていい空間であるかどうかという客観性を持ってお店はつくられていく。「でも、何が一番大事かと問われたら、今も昔も全ての中心は料理。それは変わっていないです」。
丸山さんが料理の道を志したのは、大学時代。バンド活動と居酒屋のアルバイトに明け暮れる、大学生らしい大学生だったという。当時はカフェブームの真っ只中で、雑誌では度々カフェの特集が組まれ、東京にはいくつもの個人店が誕生していた。「そういったカフェでは、店員さんもインテリアも音楽も全てがかっこよくて。当時の学生はみんなカフェで働きたいと思っていたんじゃないかなあ。『将来カフェを開きたい』と漠然と心に決めたのは、その頃でした」。
カフェに足を運ぶなかで丸山さんが気になったのが、カフェ飯(=カフェで出てくる軽食)のワンパターンさやクオリティだった。「実は、カフェ飯を食べて美味しい!と感動したことはほぼなくて。カフェで美味しい料理を提供できれば繁盛するんじゃないか、なんて安易に考えるようになりました」。そうして、丸山さんは大学卒業後に料理の専門学校へ通い、その後担任の紹介によりフランス料理店で働くことになる。
「そこのシェフの料理が衝撃的に美味しくて。いつか自分もこんな料理をつくりたい、と思ってのめり込んでいきました」。厳しいフレンチの職場で料理に没頭しつつも、退勤後はクラブへ通って朝まで遊び、そのまま出勤するという生活を続けた。「クラブイベントを開催していたレコードショップに紹介してもらった方にケータリングという仕事があることを教えてもらって。27歳で初めてシェフを経験したビストロでは、ケータリングで料理も出していました。いろいろな世界の人と繋がれて、仕事ができて、やっぱり食って楽しいなあ、この仕事選んでよかったなあと思いましたね」。料理の世界だけでは知り得なかった経験や出会えなかった人との繋がりが、その後の人生を豊かなものにしてくれたという。
知人が経営していたお店を買い取る形で、2010年に1号店目となる『MAISON CINQUANTECINQ』をオープン。29歳で独立を果たした。その後も、レストラン『Gris』(現在は閉店)、パリのビストロと日本の酒場を巧みに融合させた『LANTERNE』、ビストロと器ギャラリーが併設した『AELU』など、「こんなお店があったらいいな」という思いを形にし、繁盛店を生み出し続けてきた丸山さん。「今でも毎日のように、美味しいかな、かっこいいかな、心地よいかな、ということを考えています」。決して過去の実績にあぐらをかかず、今日も丸山さんは『ひと皿』から始まる光景を描いては、自問自答し続けている。
日々の積み重ねが明日をつくる
丸山さんはこれまでについてを、ひたすら自分がやりたいことをやらせてもらってきた10年だと振り返る。「よちよち歩きからちょっと自立したぐらいかなあ。29歳で独立して、ようやく10年。60代まで突っ走るとしてもあと20年あるでしょ。やっと3分の1が終わったところなので、まだまだこれからだなあと思っています」。現状に満足することなく、次なる何かを探し続けている。
「これからもお店はつくっていきたいと思っているんです。お店が増えることによって生み出せる利益は、当然シェルシュのメンバーに必要な資源です。ただそれ以上に、もっといろいろな世界を見てみたいし、僕たちの理念の元に生み出されるお店は常に自由でありたい。こうやればうまくいく、みんなが幸せになる、という答えはまだ自分の中にはないんで、それを探し続けていきたいですね」。会社の名前である『cherche(シェルシュ)』とは、フランス語で『探究する』という意味。丸山さんは、どこまでもピュアに、探求し続けることを楽しんでいるようにも見える。
この春には、初めて自分以外のメンバーが企画し立ち上げるお店が誕生するという。「独立して自分のやりたいお店を出すことは最高に楽しいって僕は知っているんで、だからこそ、そういう経験を他のメンバーにもしていって欲しいなと10年目にして思えるようになりました。この職場だったら自分がやりたいことを実現できる、ってメンバーに思ってもらいたいなというのもありますね」。これからの10年へ向けての丸山さんの新しい挑戦は、始まったばかりだ。
photo by Atsuya Sugimoto
そんな丸山さんが大事にしていることに、「誠実であること」があるという。そのスタンスは、料理を通して丸山さんの中に植え付けられてきた。フランス料理店での修行時代に、人参スープの仕込みをしていた時のこと。綺麗に皮を剥く必要があったが、ほんの少し皮を残して仕込んだことに、叱咤された経験がある。「透明な液体に一滴でも墨汁が入ったら透明じゃなくなるのと同じで、ちょっとでも怠けては全てが無駄になる。料理は表に見えていないところの仕事が全てだから、とにかく誠実に、丁寧にやれと、口を酸っぱくして言われました」。
それからというもの、人に見られていようがいまいが、自分の中で厳しくルールをつくりそれを忠実に守ることを自らに課してきた。「誠実で丁寧な仕事は美味しい料理に繋がると信じているし、それは人間関係においても同じことだと思っています」。決して驕らず、ひけらかさず、嘘のない言葉を紡ごうとする丸山さんから滲み出る、誠実さ。そんなスタンスや人柄に信頼が集まり、プロデュースやコンサルティングといった仕事にも繋がっている。
食を通して心に残る体験を
「コロナ禍にあらためて向き合った言葉があって」。そう言って、丸山さんは次の言葉を教えてくれた。
“You are what you eat.”
これは、アメリカ西海岸にあるレストラン「シェ・パニース」のオーナーであり、オーガニック料理の母とも呼ばれているシェフ、アリス・ウォータースも掲げている言葉だ。日本語にすると“あなたは、あなたの食べたものでできている”となる。
「地産地消とか、有機栽培で育てられた安全な食とかっていうのももちろん大切にしているのですが」。前置きをして、丸山さんは続ける。「出会った人に影響を受けたり、見たものや触れたもので価値観が変わったりっていう経験あるじゃないですか。この言葉は食に対してだけじゃなくて、日々のいろいろなことを吸収しながら自分が形成されていくので、いいものに触れていきましょう、いいと思ったことを大切にしましょう、ということなんじゃないかなって最近思うんです」。食を通して、いいものに触れ、いいものを見て感じて、味わってもらう。そんな体験としての“You are what you eat.”を問い続けることが、大事なのではないかという。「みんなが笑顔になれる飲食店って意味があるなとあらためて思ったし、そんな体験を通して、食を大事に思う人がより増えていくんじゃないかと思うんです。そうなると、これからは料理人がもっと活躍でき、評価される時代になるはず」。そう話す丸山さんは、やはり『ひと皿』を超えた先を見ている。
いつでも、自分にとってみんなにとっていいものは何かということを探求しては、形にしてきた丸山さん。人から見えないところでも、嘘偽りなく丁寧に積み重ねていくことの大切さを、丸山さんは教えてくれた。それは、ただ真面目に馬鹿正直に生きるということではない。自分で決めたルールを守っていくこと。自分を裏切らず、大切にしたいと思うことを曲げずに生きるということが、何より大事なのだ。ルールを守って丁寧に工程を重ねることが美味しい料理へ繋がるように、誠実に生きることを重ねることはきっと、いい人生へと繋がるに違いない。
photo by Yuri Iwatsuki