日本におけるクラフトジンの第一人者と呼ばれている、三浦武明さん。
数々の飲食店プロデュースを行い、東京のカフェブームを牽引してきた三浦さんだが、ある日クラフトジンと出会い、日本最大のクラフトジンの祭典「ジンフェスティバル東京」の主催やジン専門メディアの立ち上げなどを手掛けるまでにのめり込む。
コーヒー、クラフトビール、クラフトジンに至るまで、メディアに取り上げられる以前から目をつけ、追求し、独自のアウトプットへと昇華させてきた三浦さん。その源には一体どんなフィロソフィーがあるのだろうか。三浦さんが2006年に立ち上げてから大切に育て続けているお店、「TOKYO FAMILY RESTAURANT」で話を聞いた。
自分は何者かという問いに答えを出すための、内なる声との対話
三浦さんは、自分の人生の中での重要な意思決定に対して、そこに理由は無い方が良いと信じている。「理由は無いんだけど、何故だか心を鷲掴みにされてワクワクして仕方がない瞬間ってあって。うわ、今なんでこんなに心が動いているんだろう、みたいなシンプルな感覚が、自分にとっては一番強くて信じられるんだよね」と、その感性を教えてくれた。振り返れば、元々飲食業界に飛び込むきっかけとなったのも、理由無き内なる衝動であった。1998年のある暑い夏の日、選曲が好きで通っていた表参道のカフェで、汗だくになりアイスラテを飲んでいた時のこと。常連だった三浦さんに突然、リニューアルオープンに際して人が必要だった店長が「一緒にお店をやらないか」と話しかけてきた。次の瞬間にはその足で電話ボックスまで走り、バイト先に辞めますと電話し、カフェに戻り皿洗いをしていたという。「好きなようにお店をつくってみろって言われて、今まで感じたことが無いくらいワクワクして」
お店づくりで追い求めたのは、かつてロンドンのクラブで見た風景。自分たちが好きなものが呼び水となって人が集まり、それぞれのスタイルで過ごしながらもどこかで互いに影響し合っている時間と空気そのものだった。お店を軌道に乗せ、複数の店舗をプロデュースしたのち、2006年には渋谷に「TOKYO FAMILY RESTAURANT」をオープン。当時は表参道ヒルズや六本木ミッドタウンが出来て、路地裏のお店は無くなるとまで言われていた時代だった。やりたかった世界の料理を提供するお店もまだ例がなく、考えれば考えるほど辞める理由しか出てこない。無謀な挑戦だと人に言われたが、「入居者募集の貼り紙を見て偶然入ったテナントに、ドキドキが止まらなくて。自分たちがお客さんを迎えている絵が色鮮やかに見えた」。そこには迷いも、新しいことを始める怖さすらも無かったという。
「それはきっと、自分の軸を成功ではなく成長に置いているから。成長したい!と常に思ってる。逆に自分にとっての失敗とは、心が動いたのに挑戦しなかったとき。それはもう、自分の人生では無くなってしまうからね」。そのスタンスで生きているからこそ、これまで失敗したことが無いという。三浦さんにとって成長とは、色んな人や物事と出会って触れた先に、今までとは違う角度と解像度からの見方を得られたり、視座が高くなったと感じられたりする時。時に、三浦さんでさえ決断を迷う時があるという。そんな時は、インターネットで答えを探したりしないで、近くの公園に行ってみる。木を見つけては寄り掛かり、体と心を預けてみる。そして自分の本質を見つめながら、何をしたいかを考え、同時に何をしないかを決断することを大胆に決めてみる。情報が多い今の世の中でも、自分の内なる声を聞き間違えてはいけない。そうすることで、人生がシンプルに研ぎ澄まされていく。
「一万の知識を持つことよりも、自分は何を好きかというただ一つのことを分かっている方がずっと大切」。そして同時に大切なのは、変化することを恐れず、インプットよりもアウトプットを先行させまずはやってみること。そうすることで次のステージに挑戦せざるを得なくなり、人生が転がり始めていく。「導かれているようにも思えるけど、実感としては事故。アクシデントの連続だよ」と、三浦さんは笑う。そうやって生きることで、世の中は変化しても自分はこう在りたいというものが蓄積され、パズルが繋がるように、自分が進む道が見えてくるのかもしれない。
「好き」と向き合い、自分の言葉で周囲を巻き込み共感し合う
食を通じて世界を知るという旅をしている三浦さんは、やがてスペインの小島で地酒のようにつくられていたジンとの出合いから、ジンに傾倒するようになる。土地の素材や景色を閉じ込めて生まれるジンは、その土地と世界を繋ぐプラットフォームになる可能性を秘めていると感じた。「ジンは、ジュニパーベリーという季語を入れて読む俳句のようだなと思って」。季語のように一つだけルールがあるからこそ無限に広がる俳句のように、ジュニパーベリーと言う共通項を持ちながら土地と世界がジンを通して繋がり広がっていくような感動。『僕らは違うけど、一つだよね』、ロンドンから持ち帰りお店を通して表現し続けてきたその思想にも重なる部分があった。人生の次の冒険はジンだなと決めた、心が動いた瞬間だった。
「いいなと思ったものを、みんなに知って欲しい。何より自分が知りたいし楽しみたい」。そんな動機で、2012年ごろからジンのイベントやセミナーを始める。近年のクラフトジンブームのようにメディアなどに取り沙汰されるのは、その数年先のこと。答えが分からない、誰も解いたことが無い問題だからこそワクワクしている自分に気づく。「まだ答えが無い時に問われるのは、自分という人間そのもの。だから他の誰のものでもなく、自分の言葉を話せる人であり続けたいと思っています」と、三浦さん。幼少期から、自分の体験したこと以外のこと、例えば本や映画など、他人の思考をインプットするようなものとは距離を置いてきた。それは、実際に体験したと勘違いしてしまうことが怖かったから。自分の体と心で感じたものこそが情報であり、それをもとに考え抜く。その過程において、借りてきた人の言葉を話している時間なんて、短い人生の中にはほんの少しも無いのだ。
「自分の好きなことを追求してやってきたことは、突き詰めると人生に必要のないことかもしれないけど、だからこそ贅沢だし素敵なことだと思うんです」。例え100人が好きじゃないと言ったとしても、自分はこれが好きなんだと正直に言えるということ。そこには迷いがないし、その真に好きなことが誰かに伝わると、それは格別な喜びに溢れた共感となる。そんな風に自らの人生に常にワクワクしている三浦さんの周りには、共感してくれる仲間がたくさん集まってくる。それは何より、三浦さんの言葉が嘘が無くて強いものだからに他ならない。今日も新しい挑戦を楽しみながら、大切な仲間とその感覚を共有している。
情報に溢れる社会の中で、どうしても聞こえにくくなってしまう自分の内なる声。だからこそ、自分が何者で、何が好きかということを知ることが、ノイズに惑わされず自分の人生を進んでいく道標となる。三浦さんが教えてくれた、自分の人生に真っ直ぐに向き合うための言葉の数々は、忙しない世の中で私たちがシンプルに生きるための示唆に溢れていた。