大正時代の初代・新原嘉左ヱ門から鹿児島で代々引き継がれてきた新原製茶。その四代目であり、お茶の専門店『すすむ屋茶店』を手がける新原光太郎さんは、ファッション畑出身らしい軽やかなアプローチでもって、お茶の真価をふたたび一般に浸透させようとしている。いま毎朝コーヒーを飲むことは日本人にとっても当たり前の行為になっているが、はたしてその日常に「お茶」はどのようにして入り込んでいくのだろうか。私たちのDNAには間違いなく刻み込まれているものの、どこか真正面から向き合う機会のなかった、近くて遠い存在。新原さんは、その案内人をみずから買って出た。(文:長畑宏明、写真:小林茂太)
ニューヨークにて、自身のルーツに立ち返るきっかけが訪れる。
この日の取材は、『すすむ屋茶店』の店舗がある自由が丘の珈琲店で行われた。約束の時間よりもだいぶ早く到着した新原さんは、コーヒーをすすりながら「これが500円くらいでしょ? でも、それがお茶だとみんな高く感じるんですよね」と話し出す。たしかに日本で「お茶」はあまりに当たり前の存在で、飲食店でも食後のお茶はだいたいが無料だ。一方で、デパ地下や京都のお土産屋さんに並んでいるブランド日本茶は、毎日飲むには高級すぎる。
この分極化した状況で、誰でも気軽に飲める美味しいもの、はまだ浸透していない。『すすむ屋茶店』は、まさにそれを世に送り出しているのだ。
その真髄を聞く前に、まずは新原さんご本人の経歴から。彼は大学卒業後、それまで三代続いていた名家を継ぐつもりはなく、親からそれを強制されたこともなかったので、大手セレクトショップに入社することを選んだ。裏原宿世代の真ん中だった彼は、子供の頃からリーバイスや雑誌『Made in U.S.A.』みたいなものに夢中で、ずっとファッションのバイヤーになりたいと思っていたのだ。入社してしばらくはショップスタッフとして店頭に立っていたが、あるとき自腹で先輩バイヤーの出張に同行し心意気をアピールしようと思い立つ。
初めての買い付けは23歳の時、場所はニューヨーク。だが、出国直前に父親が病気で倒れてしまう。彼はすぐに地元の鹿児島へ戻った。
「地元の病院に着いたら父親はすでに意識がない状態でした。そこで普通だったら買付の同行も諦めるところなんですが、ここでじっと待っていても仕方がないし、結局アメリカへは行くことにしたんです。バイヤーにも『いつ何が起こるか分からないんですが』と事情は説明して」
海外に不慣れだった新原さんは、現地に着いてひどい時差ボケに襲われる。毎日朝4時には目がさめてしまい、まだ暗い早朝にマンハッタンを歩きまわっているうちに、様々な事柄が頭を駆けめぐった。
「アメリカ人は自国のものが大好きで、カフェや洋服屋さんなどお店の雰囲気も借り物っぽくない。そこで、日本人が意気揚々とヤンキースのキャップをかぶったりしていることに違和感を覚えはじめて、『自分が何者なのか』を考えるように。自分もむかしは鹿児島出身っていうことを恥ずかしく思っていたんですが、アメリカの人たちは自らのルーツを堂々と表現していたんですよね」
ひとつ、印象深い出来事があった。当時は、ユニクロがニューヨークに出店したばかりの頃だったのだが、先輩バイヤーが自社ではなくユニクロのジーンズを履いてきたのだ。だが、見た目は洗練されていて、ハイブランドのショールームへ買い付けに行くたびに「そのジーンズ、相当格好良いね、ディオール?」と質問されるという珍事を目の当たりにする。
「僕はそれを見ながら『何これ?』って。自分たちが普段、いかにその“もの”に対して正しい見方ができていないかを思い知らされましたね」
ある種のマジックが解ける瞬間だった。そこで一気に、「自分が生まれ育った環境で花咲く人は格好良い」という、欧米ファッションへの憧れとは逆の思いが芽生える。彼にとってのそれは「お茶」。ここで、鹿児島の実家を継ぐ決心がついた。
鹿児島のお茶を「文化」として浸透させるために。
とはいえ、いつでも業界に戻る気ではいた新原さんだが、試しに入ってみたお茶の世界がかなり性に合った。そこである事実に気づく。今はどの分野でもローカル回帰が流行っていて、生産の見える化が叫ばれているのに、お茶のことは誰も知らない。
「お茶はたくさんの人間が関わることによってややこしいイメージがついていますが、ただの木の葉っぱですよ? たしかに、京都ではお茶の文化とか作法が重んじられますが、鹿児島の強みはあくまで『製造工場』としてのもの。なのに、鹿児島のお茶を売る人たちは京都ブランドと同じ感覚でブレンダーや歴史で付加価値をつけているので、東京では1000円以上することもあります」
つまり、現状は「鹿児島産」のメリットを生かした仕組みになっていない。新原さんいわく、不必要なフローや人を省いていけばまだまだ安くなる、とのこと。いくら美味しいお茶でも、価格が1500円だったら一部の人にしか飲まれず、それでは「文化」とは言えない。だからこそ、おいしいお茶を一般の人たちが自然に触れられるものとするために、彼は『すすむ屋茶店』の事業テーマを「良いもののマス化」に設定している。トレーサビリティや素材、産地を大切にするサードウェーブ的な流れは踏まえつつ、たくさん作ってリアリティのある価格で出す。それができるのが、「鹿児島産」の醍醐味なのだ。
その「良いもののマス化」というコンセプトが生まれたのも、前職の時に初めて訪れたアメリカだった。
「日本人からするとアメリカにいる普通のおじさんが格好良く見える、あれって何だろう? と。例えば、彼らが履いているニューバランスの1000番台にしても、日本ではお洒落な人しか買わないけれど、アメリカでは大衆靴。僕もそういう領域に挑戦したい。また、先ほど話した生産と価格の相関関係でいえば、マスに売ることで解決する問題も多くて、作り手・売り手・消費者がちょうどみんな幸せになる分岐点が『日常化』だと思うんです」
そもそも現在世の中に流通しているお茶について、新原さんは「美味しくない」と一蹴する。生産者からすれば「こんなの、おれたちの本気じゃない」というものが一般に飲まれているのだが、そこには「価格が安すぎる」という問題も潜んでいる。先ほどの話と矛盾するようだが、まずは「お茶で一杯500円=高い」というハードルを超えるところから始めた。
「大事なのは、自分たちが『この価格で良い』と思ったらそこからぜったいに下げないこと。それでやり切る。通常のマーケティングって『どこに市場があるか』を探るところから始めるのが常なんですけど、僕らの場合は新しく市場を作りだす感覚で、自由が丘のお店を拠点に実験していました。『お茶一杯500円って、安いよね』という人がどこかにいるはずだと信じて」
その試みは結果的に、日ごろから「お茶くらいは良いのが飲みたい」と不満を持っていた年配の方々や、惰性でコーヒーを飲んでいた学生らにきちんと届いた。
自分自身も気づいていなかったニーズ=美味しいお茶。
「自分自身も気づいていなかった悩み、ってあるじゃないですか。もしかしたら僕らのお茶もその領域に入ったのかもしれません。例えば、デートでなんとなく表参道のカフェに行く。それって別にコーヒーの質うんぬんで選んでいるわけではなくて、表参道のカフェ=休日の癒しっていう強いイメージがあるから。そして、その癒しの新しい手段として、僕らのお店でお茶を発見してくれた人が多いんです」
その立ち位置に見合ったパッケージデザインについても、『すすむ屋茶店』なりのロジックがある。事業を始めた当初は、コーヒーと同じ感覚で、暮らしの中でお茶が何かしらのスイッチになると考え、非日常的な尖ったデザインを想定していた。しかし、インスタグラムでアンケートをとっているうちに、お茶は「休憩」や「癒し」のイメージが強いことに気づく。だから今は、非日常的でクールなものと日常的でほっこりしたものの間を意識している。
ロールモデルはずばり、スターバックス、ドトール、富士そばだ。また、デザインでも意識していることがある。
「僕たちは商品にできるだけ情報を載せないようにしています。信頼しているお店であれば、何を出していても良い。たとえばとらやさんは羊羹を出していますが、『この小豆は誰々が作っていて』なんて書く必要がないじゃないですか。うちも、『緑色のロゴだったら良いお茶だね』っていう認識だけで十分、という状態にまで持っていきたいんです」
鹿児島産のお茶は元からスペックが高いので、変に下駄をはかせたり、逆に安売りしたりする必要もない。ここまで明確なコンセプトをもつ新原さん個人はしかし、生産部分に寄りがちな、旧来の職人像に近い性格だという。そんな自分を自分で否定する日々……一見ハードに感じられるが、本人の軽やかな口調は、まるでその過程が楽しくて仕方ないといった様子だった。