印刷業という歴史ある業界の枠組みにとらわれず、従来の出版物に加えてインデペンデントな個人出版への営業を通して新規開拓し、数々の「今までにない」印刷物や仕様を実現させてきた藤原印刷。創業65年になる印刷会社にそんな新しい風を吹き込んでいるのが、三代目となる藤原隆充・藤原章次兄弟である。「兄弟」という絶対的な信頼を寄せ合える互いの存在があったからこそ、ブレずにその道を歩んでこれたに違いない。印刷業界に止まらず新しい可能性を切り拓いている二人に、話を聞いた。
補完し合うことで、最大限にそれぞれの強みを発揮する
斜陽産業と言われる印刷業界において、従来の見方に囚われずに印刷業界の可能性を広げ続けてきた藤原印刷の取り組みとスタンスは、侍のように信じた道を突き進む章次さんと、俯瞰的に見て周辺を調整し進めていく隆充さん、「攻め」と「守り」という色の違いを持つお互いを補完し合うことで生まれている。その関係性の元を辿ると、家業である藤原印刷に合流する以前にお互いの必要性を認識できたことがベースにある。
章次さんは、驚くことに、人とコミュニケーションをとることが大の苦手だったという過去を持つ。人の顔色を伺い、人が信じられず、学校へ行けなくなってしまったという中学時代の苦い原体験。最初こそ運動部に興味を持ったものの、上下関係やしきたりといった「こうあるべき」に嫌気がさし、バスケ部やサッカー部など入っては辞めてを繰り返した。「いまの自分があるのは兄貴や家族のおかげ。そんな鬱々としていた時にも声をかけて引っ張り上げてくれたし、学校社会の規則やルールに倣うべきというような矯正もされなかった。自分を尊重してくれました」。その後の大学時代、縁あって隆充さんの入社した会社でインターンとして働くなかで、今に通ずる思いを抱く。「兄貴と机を並べて半年ほど一緒に仕事をすることで、兄貴と働くのってすごく楽しいなと心から思って。昔から共通しているのは、何をやるかではなく誰とやるか。家業を継ぎたいと心に決めたのも、印刷が好きだったからではなく、とにかく兄貴と一緒に働きたいと思ったからなんです」。そうして章次さんは藤原印刷の門を叩くが、社長である母親からは「家業は長男が継ぐものなのでお前はいらないよ」と言われてしまう。
隆充さんは、当時のことをこう振り返る。「インターンに来た弟と一緒に働いた時に、お互いが補完関係にあることを感じたし、そんな会話も常々してきたんです」。弟は不器用だけれど突出した推進力や実行力がある。自分は器用だけれども何かを押し込めてまで突き進む力はないと感じていた。「兄貴が家業に入らないと俺も入れない」と章次さんに言われ、その翌日に、当時働いていた紙や印刷とは無縁のネットベンチャー企業を辞めたという。弟が背中を押す形で、隆充さんは家業である藤原印刷の門を叩いた。「弟みたいに何かに突出した力を持つ人間と同じスタンスを目指していても、自分は絶対に勝てないなと思ったんです」と隆充さん。「器用貧乏が自分の強みと思っていたのですが、社会人になってあらゆるところで負けた結果、弱みに思えてきて。でも、器用さ故に俯瞰的に物事を見たり、相手に呼応したりできる自分に気付いたんです。何かに突出している人と組んだ時にこそ、そんな自分のニュートラルさが活きる感覚がありました」。そう感じてからは、自分が長けている部分に視点を切り替え、その能力を磨いてきたという。弟あっての兄、兄あっての弟。それまでの人生を通してそう認識し合っていた二人は、それぞれの能力を最大限に活かしながら、無くてはならない存在へと一層つながりを深めていく。
そんな二人が口を揃えていう自分たちのスタンスに、「思考停止せず、こうあるべきという枠を疑い自分の頭で考え、最良の方法を常に追い求めること」がある。「印刷会社だから、営業職だから、という枠や限界は一切ありません。限界を決めずに、自分の頭で考えるのみ。『それって営業の仕事?』と言われることも多々ありますが、自分がやるべきだと思ったことは必ず実行します」と章次さん。それぞれが印刷業とは関係のない業界での経験を経て、立ち戻った藤原印刷の中で感じていたのは、新しいことを始めることへの腰の重さや反応の鈍さ。東京で営業を担当する章次さんは、まずは本を多く扱う出版社に営業すべきという慣習に、現状を打ち破る可能性は感じられなかった。「目を付けたのが、表現にとことんこだわるデザイナーさんたち。どんなに手間のかかる製本や難しい印刷でも一緒につくりたいです!と連絡してみることから始めました」。すると予想以上の反響があったという。その背景には、デザイナーのアイディアや創造性も、印刷会社がリスクを背負いたくない故に実現していないというケースが多くあった。「こだわりや思いの込もった提案や仕様書に対して、我々印刷会社が『できません』と一蹴するのは失礼じゃないですか。自分たちにできることは全力で応えていきたいと思ったんです」。
当時長野の本社で生産管理部長を勤めていた隆充さんは、「こうあるべきを自分たちで決めず、難しい仕事も前向きに挑戦してきたからこそ、他に無い知見が溜まり、現場ではリスクも回避できるようになってきました。それを止めてしまうと自分たちの成長も止まってしまうと思います」という。具現化する過程で一つの方向性が駄目だったからと言って諦めず、ここまでという枠組みをつくらず、実現できるまで方法を変えて進み続けてきた。「これで100点と言われたら、いやいや150点もあるんじゃない?と思っちゃう」と章次さん。そんな言葉からも、目の前に置かれたものが果たしてそうあるべきかを疑い、常に自問し続けている姿勢が垣間見える。
章次さんが前例の如何を問わず顧客のリクエストを最大限に受けてパスを出し、隆充さんはそのボールを受け止め現場サイドで実現の方法を模索していく。そんな活動を重ねることで、限界を決めずつくり手のこだわりにとことん伴走してくれる二人に注目が集まり、人伝いに印刷の相談が集まるようになっていった。
相手軸に寄り添うという自分の軸に、とことんこだわる
業界の枠組みにとらわれない活動や提案で注目を集める二人だが、自分がこれをやりたい!という自分軸で動いている意識は無いと言う。「自分たちがやりたいことではなく、お客様が実現したいことを汲み取り実現することにとことんこだわってきました。相手軸に寄り添うことそのものが自分らの軸で、それだけは揺るがないです」と章次さん。「自分たちが出来る出来ないではなく、お客さんがどうしたら喜ぶか?自分が相手だったらどうされたら嬉しいか?という点を判断軸に考えているし、現場でも会話するようにしています」と隆充さんも話す。
そんな二人のターニングポイントにもなった、2つの作品がある。その一つが、当時大学生だった編集長が一人でつくった「N magazine 0」。有名タレントやブランドを起用するなど熱量とクリエイションの高い冊子をたった一人でつくり上げたことに感銘を受けた章次さんは、他の会社で印刷して思うような色表現が出来ずに意気消沈していた編集長の彼に、「必ず初版より綺麗にするのでぜひうちで印刷させてください」と想いだけで連絡した。「社内で初めての写真集のようなフルカラー印刷であったことと、200万円はする仕事を半額以下で引き受けてしまったものだから、社内は相当ざわつきましたよ」と、隆充さんは笑う。そうやって、編集長のこだわりに寄り添い、初版と全く異なる美しく鮮やかな色彩を持った冊子として「N magazine 0」は再び世に飛び立った。見ただけでわかるその違いが話題となり、それまでなかった写真集の依頼も次々と集まるようになった。
もう一つが、青山ファーマーズマーケットが創刊した雑誌「NORAH」である。「1ページずつ違う紙を使いたい」という到底実現が難しいと思われるオーダーに対しても諦めずに可能性を探り、結果、本の構成単位である16ページ毎に紙を変え、表紙の紙や本文の順番も変えることで同じ内容でも12パターンの顔を持つ冊子をつくり、こんな斬新な本を印刷したのはどこだ、と注目を集めた。隆充さんは、当時をこう振り返る。「違う紙に刷るということは、インクや版などを都度調整し直さなくてはならないんです。最初は現場の反発を受けないように平準化したオペレーションを提案したんですが、かえって現場から『そんな生半可なものは作れない』と言われて。結局紙を変えるごとに全ての印刷機の調整をし直して、印刷だけで7日間かけてつくりました。新しいことへの挑戦が、職人たちの琴線に触れたんでしょうね」。これをきっかけに、どんな難しいことへも挑戦しようというムードが、現場にも広がっていった。「ぼくら2人で仕事が完結することはなくて、一緒に挑戦してくれる社員あってこその藤原印刷だと思っています」チームで挑むという意識を常に持っているという。
これらを通して二人は、自分たちの家業である印刷という仕事の可能性を再認識することになった。「良いものをつくることがゴールではなく、良いものをつくり相手に読者に喜んでもらうことがゴール」であると隆充さん。「5冊だけつくる人も、5万冊つくる人も、接し方は変わりません。大小関係なく、目の前の人が求めていることにこちらも全力で向き合っていきたいし、期待に応えるためには新しい挑戦も進んでしていきたいと思っています」と章次さんも話す。常に相手に寄り添い、誰かが決めた印刷業界の枠にはまらず、実現していこうとする強い思いを貫いていくことが、日々のあらゆる判断に影響を与え、彼ら故の結果を生み出しているのだ。
「家業における自分たちの存在は、壮大な駅伝の中の一区間でしかないと思っています。どこまで続くかは分からないけど、先代から受け取ったバトンを、ちゃんと次の世代のランナーに繋いでいきたい。振り返った時に、あの代でパラダイムシフトが起こり、礎が出来たんだと思ってもらえたら嬉しいですね」と、隆充さん。守りながら攻めていく、それが実現できるのは個性の異なる二人が噛み合っているからこそ。そして日々大切に思う価値観やビジョンを同じ目線で共有し続けていることで、彼らのスタンスはより揺るぎないものとなっている。「先代あっての僕らなんで、自分たちはまだ何も成し遂げていないんです」。自身をそう捉える野心的な二人の挑戦は、今まさに始まったばかりだ。
どんなに突破力があって相手に寄り添いたいと奮起しても、独りよがりでは実現し得ない。逆に、どれだけ挑戦を受け入れるマインドと体制とを盤石に構えていても、機会がないことには宝の持ち腐れである。隆充さんと章次さんは、それを自分たちで十分に理解しているからこそそれぞれに突き抜けていて、かつお互いに全面的な信頼を寄せ合い、一人では到達し得ない世界を一緒に見ている。
人生をかけて挑戦を共にするパートナーには、兄弟や夫婦、友人などいろいろな関係性がある。そしてそれらの関係性の中では、一方に秀でている能力もあれば、一方に不足している能力もあることだろう。血が繋がっているいないは関係なく、自分の能力を俯瞰して把握し、その能力に信頼を寄せ合う間柄でいられることで、一人では出来なかったことが出来たり一人では辿りつかなかった世界を垣間見ることが出来たりする。そんなパートナーの存在によって自分の能力も一層際立ち、さらなる高みを目指して邁進していけるに違いない。